プログラマ未経験から2年半で月105万円稼いだエンジニアの軌跡

ダメダメ社会人がエンジニアになって成り上がった物語



自己紹介と理念


はじめまして、フリーランスエンジニアのやまと申します。

私がどんな人なのかということを自己紹介させていただければと思います!

2020年8月、28歳からWebエンジニアをやっていて
現在4年目のフリーランスエンジニアです。
後述しますが、正社員のWebエンジニア経験なしでいきなりフリーランスでエンジニアになりました。
ただ、めちゃ苦労したので、いきなりフリーランスはあまりオススメはしていません…

話を戻して、現在はWeb系自社開発企業を中心に
フリーランスとして月単価105万円で参画させていただいています。

フルリモートで朝10時過ぎまで寝て、仕事を開始
19時頃まで仕事をしたら、好きなこと・勉強や自己投資をして夜中の2時頃に就寝

胡散臭いかもしれませんが、エンジニアとしては
・案件面談で「ぜひウチに来てください!!」と言っていただける
・バンバン月単価100万円以上の案件でオファーいただける
・他者への貢献がこの上なく好き
・フルリモートで翌朝を気にせず、夜中まで起きていられる
・金額をそこまで気にせず買い物や勉強にお金が使える
・仕事上の人間関係に悩むことがなく精神的にとても楽
・メンバー皆から「あなたの存在が重要だ!」と言っていただける
・これまで参画した案件の企業様からは次のような非常にありがたいお言葉をいただける
「これまで関わったフリーランスの方でマインドが圧倒的にNo.1です!」
「手放したくない、ずっと一緒にやってほしい!」
「是非正社員になってくれませんか?」

ありがたいことにこれらのことができています。
お金・時間にも余裕が生まれ、自分の貢献でお客様のサービスを伸ばすことに大きな喜びを感じます。

また、個人開発でさらにエンジニアとして価値提供できるように自己研鑽に努めたり、
これからどんどんエンジニアとして成長していきたい、稼げるようになりたいと頑張るエンジニアの方へ
エンジニアとして価値提供し稼げるようになる考え方・ノウハウを提供し、応援しようと情報発信を始めました!

ただ、元々このように活躍したり、前向きに行動できるような人間ではなく
むしろ28歳の直前まで、仕事ではいつまでも新人のような仕事ぶりで
上司から注意を受けることは日常茶飯事
要領も良い方ではなく、他の人が短時間でできることでもあたふたしながら進める
アラサーになっても何ひとつ成果を出せていなくて
どんどん新たな仕事に挑戦したり、昇進していく同級生・同世代の方を見てとても焦っていました

「このままではヤバい」と思いつつ、これといった行動を起こしているわけでもない
どんな努力をすれば仕事ができるようになり、充実した生活が送れるのかわからず自暴自棄になっている時もありました

ただ、「逆転したい」「自分の貢献で他者の幸せに貢献できるようになりたい」と
必死に学び実践していくことを続けていると、いつの間にか月単価105万円のフリーランスエンジニアになり
お金も時間も、お客様に貢献できる喜びを感じられるようになりました

このブログではこれまでの私の経験を踏まえて
・エンジニアとして稼ぐためのマインドセット
・現場で活躍するための考え方
・高単価のフリーランスエンジニアになるための努力の方向性
これらのような内容を活躍し、高い月収を得ようと努力するエンジニアの方へお伝えしていき、
価値提供できるエンジニアをどんどん輩出することで、Web業界全体をさらに盛り上げていきたいと考えています

これからエンジニアを目指す方、駆け出しの方、経験が2〜3年とまだこれから成長していきたい方など
幅広くお役に立つような情報を出していくので、是非ご覧いただけますと幸いです

そして、私がこのような活動をする上で
私の過去の経歴を共有しておくと、より今後のブログの理解がしやすくなると思いますので
私の過去のストーリーを共有します

将来のことを何も考えずに過ごしていた大学時代

私は2020年8月、28歳になってすぐのタイミングで
フリーランスエンジニアになりました。

プログラマの実務未経験の状態です。
それまでは他業種の会社員でした。

なぜ、そんな無謀な選択をしたかとお話しすると
・自分で世の中の役に立つサービスを作って生計をたて、家族を支えられるようになりたい
・ダメダメな自分を変えたい
この2つが大きな理由です。

私は大学からWebエンジニアになるまでの約10年間は
まともに考えて行動することができず
受け身で、でも何か好きなことをしたい
体は生きているけど、心は常に何か居心地の悪さを感じている
そんな状態であがいていました。

私は大学時代、工学部で学んでいました。

周りは皆、将来は大手メーカーで技術職で就職したいという希望を持ち、学びに励んでいました。
方や私は、興味はあったもののそこまで技術職志望というわけではありませんでした。

そもそも工学部に進学したのも、
高校時代に理系科目の方が好きで、進学した大学の理系の中で医学部を除いて最も偏差値が高かったからでした。

私の学部・学科は、9割以上の学生が大学卒業後は大学院に進学し、
修士課程を経て、就職するか、
博士課程まで進んで研究者になるか
どちらかでした。

その流れに身を任せ、私も大学院に進学するつもりで過ごしていましたが、
元々技術職に興味があって、高いモチベーションで学ぶ周りと比べて、
高校の延長線上程度に授業に臨み、単位をとる生活をしていました。
そのため、ソフトウェアの専攻にいながら、
学んでいたC言語の超基礎のポインタすら理解せずに卒業しました。

将来のこともまともに考えない、努力もしない、
ただ周りに合わせて進路を決める

そんな甘ったれた状態で大学4年になり、
いざ大学院試験のタイミングを迎えると、
途端に将来が怖くなりました。

ちょうど研究室配属があり、
周りは皆、「こんな研究がしたいんだ」「大学院まで学んで、いきたい企業があるんだ」と話している中、
自分は何も考えずに大学院進学をしようとしていたことをようやく痛感し、
このまま大学院に進学していいのか不安になりました。

そこからやっと、自分が将来何をしたいのか、どう生きていきたいのかを真剣に考えるようになりました。
大学院進学はいったんストップし、将来のことを考え直すために1年間休学しました。
両親には本当に申し訳ないことをしたなと思います。
なんとしてでも、どうやって生きていくのか見出さなければともがきました。

自分のやりたいことを探しまくった休学期間

休学中、私はいろいろな人に会いました。
所属していたサークルの先輩で、卒業後社会人として働いている方、
高校時代にお世話になった塾の方、
高校の友達

また、新たにつながりを求めて、
地元の千葉でボランティア団体に加入しました。

すでに繋がりがある方、新たに繋がった方、あらゆる方に
「どんな想いで今の仕事をされているのか」
「今後どうなっていきたいのか」
聞きまくりました。

そんなことを半年〜1年ほど続けていると、
自分の中で憧れの姿ができてきました。

それが「自分で作ったサービスで他者の幸せに貢献し、家族を支えること」です。

特に高校時代に塾でお世話になった方は、
独立してご自身で塾を立ち上げ、生徒さんのために日々奮闘しており、
またご家族(奥様、高校生と中学生の娘さん2人)の生活を支えていて、
とてもカッコよく見えました。

また、ボランティアで知り合ったハウスクリーニングを個人で営まれている方は
過去にご自身がお掃除用の薬剤で健康を害した経験から、
体に、環境にやさしい方法でお掃除する方法を伝えていきたいとお話しされていました。

共通していたのは
・実現したい社会像を持っていること
・それを実現するために、自分でサービスを作っていること
・そのサービスで生計を立て、家族を支えていること

自分もそうなりたい、
他者のために努力したい

そんな想いを持って、地元で公務員になり、企画職に就こうと決めました。
そして、休学期間を終え、大学院試験は受けずに就職活動を始めました。

しかし、ここから約4年間、苦しい日々が始まります

初めての社会人、仕事が出来なさすぎて落ち込む毎日

休学期間を終え、地元で公務員に就職しようとしたものの
それまでまともに勉強しなかった人間が太刀打ちできるわけもありませんでした。

休学明けの年は惨敗で、卒業後も挑戦させてもらえるよう両親に頼み込みました
大学卒業後は塾講師とコンビニでアルバイトしながら
試験勉強を続けていました。

ただ既卒で就業経験もなく、これといった強みもない人間が
地元で貢献したい!という気持ちだけで立ち向かうことの難しさを感じました。

2年間結果が出ず、仕方なく他の仕事に就職することになりました。
キャリアカウンセラーの方に勧められ、大学時代に工学部でもあったことから
ITシステムの運用職に就職しました。
仕事内容としては、エンジニアのように設計したりプログラムを書いたりするのではなく、
すでにできたシステムをクライアントに導入するサポートを行う仕事でした。

「よし!公務員は上手くいかなかったけど、ここから理想の実現のために頑張っていくぞ!」と
期待を膨らませて就職しました。
初めての社会人、26歳の時でした。

そして、大学時代にインターンの経験もなく、
また、まともに自己研鑽に励んでいなかったツケが回ってきました。

仕事は非効率で、納期に間に合わない、
その上、ミスばかりで
上司や先輩から「やま君、ちょっといい?」と呼ばれ、
注意を受ける事など日常茶飯事でした。

今でも覚えているのですが、
就職したての頃、私はテキストエディタの置換機能を知らず、
置換すれば1秒で終わることに、手作業で半日かけてやっていました。

それに加え、引っ込み思案だったこともあり、
自分の意見を発するのが苦手で、
指示をいただいた仕事をただ終わらせるような仕事ばかりしていました。

通勤中にビジネス書を読んだり、
役に立ちそうなメディアに登録して日々チェックするようにしたり、
やるべきことはやるようにはしていましたが、
なかなか成果につながらない。

自分が思い描いていた
「自分でサービスを作り、他者の幸せに貢献する」理想と大きくかけ離れた状況で、
毎日ギャップに苦しんでいました。

「学び続けているけど、成果が出ない…」
「いつになったら他の人のために貢献できるんだろう…」
「自分、本当に能力ないな…」
とマイナスな感情が日に日に大きくなっていきました。

そして、就職して2年が経過した27歳の頃に
抑うつ状態になり、休職することになりました。

「オレは何をやってるんだろう…」

重い気持ちで部屋に引きこもって、何も考えられずにいました。

食事も喉を通らず、
夜も寝付けず、昼夜逆転の生活

そんな状態が半年ほど続きました。

Webエンジニアという道

気持ちが沈んでいる中、
世の中ではプログラミング未経験からWebエンジニア転職がブームになっており、
大学時代にC言語を学んでいたこともあり、気にかけていました。

「Webエンジニアなら、自分でサービス作れるよな…」
「発信しているWebエンジニアの方、イキイキとしていて羨ましいな…」
「オレもこうなりたいな…」

Webエンジニアのインフルエンサーの方々の発信を毎日見ているうちに
Webエンジニアになれば、自分でサービスが作れること、
努力次第では高収入を得られることを知っていきました。

そして、何より発信をされている方が皆、
前向きで他者貢献に積極的な姿がとても印象的でした。

私が未経験から2年半で105万円を稼げるようになった恩師とも言える方が
「価値提供することが幸せ。他者に喜んでもらうことに尽力する」
このように発信されていて、自分もこうなりたいと強く憧れるようになりました。

「エンジニアになって一発逆転したい」
「他者に価値提供できるエンジニアになりたい」
「自分のサービス・貢献で他者の幸せに貢献したい」

このようなことを感じる中で、行動することの重要性を思い出し、
自分もWebエンジニアになろうと決めました。

必死に学び、いきなりフリーランスデビュー

復職し、仕事をしながら
Webエンジニアになるために学習を始めました。
インフルエンサーの方が示してくださったロードマップを参考に
書籍を買い漁り、毎日コードを書いていました。
エラーがなかなか解決できず、夜中まで向き合って、
2時間睡眠で出勤するなんてことも普通にありました。

それでも諦めたくなかった。
何が何でもWebエンジニアになって、他者の幸せに貢献したい。
自分でサービスを作って、世の中に貢献したい。
それだけを考えて、毎日個人開発に勤しみました。

その甲斐あって、半年後にはWebサービスとして一般的な機能を備えたアプリを作れるようになり、
それをポートフォリオとして、エンジニアになるための転職活動を始めました。

Webエンジニアは自社開発、受託開発、SESがあることを踏まえ、
まずはどんな形態であっても、Webエンジニアとしての実務経験が必要だと考え、
コードを書ける仕事ができるなら何でもOKと考え、転職活動を進めていました。

1週間あたり10社ほど応募し、転職活動を進めていく中で2社ほど内定をいただくことができました。
面接官の方から内定理由として、
「実務を見越してポートフォリオを作り込んでくる人は滅多にいない。」
「もう即戦力として、積極的に行動してくれそうで期待ができた」

とフィードバックいただきました。

このようなお言葉から
私は実務未経験ではありましたが、「もしかすると、フリーランスでも案件に参画できるのでは?」と考え、
フリーランスのエージェントに登録しました。

最初はコードが書ける案件であれば何でも良い、
単価も待遇も気にしないから、どんな案件でもウェルカムという思いで
面談に臨み、30社応募し、1社から月単価30万円でオファーいただくことができました。

これを機に正式にフリーランスとして独立し、
2020年8月にWebエンジニアとしてデビューしました。
28歳になって1ヶ月が経過した時でした。

この案件により、甘ったれの私が大変貌を遂げていきます。

未経験の雑魚エンジニアが開発をリードして短納期をクリア

フリーランスデビューであり、Webエンジニアデビューでもあったこの案件は受託開発で、
官公庁の事業の業務システムの新規開発でした。
ただ、納期がとても短くかつ厳格で、
通常半年は工数として見積もる規模の開発を、
事業期間の関係で3ヶ月でやってほしいというものでした。

その初回リリースが自分が参画した月の月末でしたが、
参画当初、要件すらまともに決まっておらず、開発環境ができているだけ、
メンバーもPMと副業のエンジニア2名+自分だけの状態でした。
毎日出社し、終電ギリギリまで開発するなど当たり前、
ましてやエンジニア未経験の自分が、すぐに素早くコードを品質高く書けるはずもなく、
まさに大ピンチでした。

ただ、逃げ出すわけにはいかない、
もう十分逃げてきた、人生の休憩は味わってきた、
何としてもやり切らなければ

この一心で開発を進めていました。

初回リリース前の最後の週末、開発が終わるまであと一歩というところで
PMの方がクライアントから
「本当に来週リリースできるの?」
「人員をもっと投下して何としてでも終わらせてよ」
と言われている姿を見て、
その週末は徹夜で開発したことは今でもはっきり覚えています。

ただ、何としてでも開発しきる。選択はそれだけでした。

こうして何とか厳しい納期の中、初回リリースを無事完了できました。
初めてリリースしたコードは今振り返ると本当にひどいコードでしたね…

ただ、サービスを開始することができ、
その後も2ヶ月で、週6稼働で残りの機能を開発し切ってリリースしました。

修羅場をクリアして見つけた感動

PMの方からは、自分が駆け出しレベルであることを見抜かれていましたが、
土壇場でもやり切れることをとても評価してくださいました。

この企業様では約2年間、2つの案件でお世話になりましたが、
本当にたくさんの経験をさせていただきました。

新規開発で0→1フェーズの開発を経験させていただいたり、
自分で開発したコードは自分で保守する方針だったことで、設計の知見が得られたり、
別のリプレイス案件でメインのプログラマとして、テストコードまで含めて実装させていただいたり

自分が「この企業様のため、さらにその先のユーザのためにやれることは何でもやる」
このように考え日々、勤しむと共に
クライアント企業様からもどんどん仕事を任せていただく関係ができました。

さらに業務以外の時間は
設計の書籍でインプットしたり、
すでにフリーランスエンジニアとして成功されている方から成果を出すための考え方を教えていただいたり、
学びを習慣にするようにしました。
終業後も、土日も一日中インプットと課題解決のための検証を繰り返す日々。

また技術だけではなく、チームが効率的に開発できるように
スケジュール管理をPMの方と一緒に考えてタスクのアサインを考えたり
行き詰まったメンバーをフォローしたり
組織として成果を出す経験をたくさんさせていただきました。

プライベートでの学びと業務でのアウトプットを繰り返し、
最初にお話した官公庁向けのサービスが終了するタイミングで、
PMの方から焼肉の叙々苑に連れて行っていただき、

「やま君のおかげで、たくさんの仕事を受けることができました」
「本当にありがとう」

このようにおっしゃっていただきました。

とても感動し、こう思いました。
「自分が力になれて本当によかった」
「社会人になって、やりたかったことはこういうことなんだ」

自分が努力し、その成果でお客様に喜んでいただくことができる。
自分の貢献で他者が幸せになっていただける。

私が約10年間追い求めていた感動をようやく感じることができました。

他者に喜んでいただくことに拘れるエンジニアが最強

そこから半年毎に35万円ペースで単価を上げていき、
エンジニア経験2年半の時点で月単価105万円を達成しました。

これを可能にしているのは、キャリア戦略や技術の習得法などを学び続けたこともありますが、
最も大きなものは、お客様の課題解決、そして難しい課題でも立ち向かい解決まで持っていくメンタリティだと考えています。
・お客様のサービスを伸ばす上で課題となっていることを知ること
・何がなんでも解決すると決めてやり切ること

私はこの2つを最も大切にしています。

エンジニアは技術スタックの豊富さや経験年数が注目されがちですが、
もっと大事なことがある。

たしかに課題を解決するにも技術は大切ですし、経験が多いほど視野が広くなるとは思います。
ただ、技術はサービスを伸ばすために使うものです。
企業のサービスを伸ばすこと、課題解決に役立って初めて価値のあるものになります。

また、Webサービス開発は一人で行うものではありません。
ビジネス側の要望を聞いたり、
チームで効率的に、かつメンバーが心地よく働けるように考える
エンジニアの仕事は技術だけではないのです。

・サービスを伸ばすための課題解決
・メンバーがモチベーション高く開発に臨めるような風土形成

これらができるエンジニアがどの企業からも求められています。

そもそもビジネスは「課題解決」です。
お客様の悩み・困っていることを解決するからこそ、対価として収入をいただける。
その期待が大きいほど、貢献度が大きいほど高収入が得られる。
お客様の難しい課題を解決して、その結果として高収入が得られて、働き方の待遇もよくなる。

終身雇用の時代を終えつつある現代は、指示のあった仕事だけするのではなく
自分のスキル・経験で価値提供していくことがMustになるはずです。
その根幹となるのは、課題を解決すること、そして他者に喜んでいただくことに嬉しさを感じるマインドだと私は考えています。

私が発信を通じて伝えたいこと

私はブログを通して、
一人でも多くキャリア・努力の方向性に悩むエンジニアの方が、
自身のやっていることに自信を持ち、イキイキと働けるようになってもらいたいと考えています。


経験がまだ浅めのエンジニアの方は特に
「どんなキャリアを進むべきかわからない」
「単価が上がらない」
「現場でどのように働けば良いかわからない」
「未経験スキルの勉強法がわからない」

これらの悩みを抱えていることを感じてきましたし、実際に聞いてきました。
エンジニアとして前進していきたいという希望は持ちつつも、
どのように努力すれば良いかわからず、モチベーションに繋がりにくい。
過去の私もそうでした。
やりたいという思いはあっても「努力の仕方がわからない…」という不安を抱えながら
学んでいくことはとても辛いと思います。

何か目標を達成したいときは
・すでに成功している人から学び、方向性の適切さを確保する
・学び、行動しながらその方向性の理解を深めていく

この2つが大切だと考えています。

自分の理想を叶えている人が辿った道・方法は結果が出たやり方なので、
それを自分に落とし込んで真似をしていくことが成功への近道です。
とはいえ、学んだ内容をその場ですぐに満足のいくように再現することは難しい。
だからこそ、方向性を把握し、やり方・考え方を学んだら、日々の行動に反映して身につけていくこと。
考え方・行動を日々ブラッシュアップしていく。
これを積み重ねれば、目標までの階段をどんどん登っていくことができます。

ただ、これは現時点ではわからなくても全く問題ありません。
エンジニアになる前の私も当然わからなかったですし、
エンジニアとして活躍し、高収入を得られるようになるには適切な知識・考え方を知り、継続できれば才能に関係なく到達可能です。
もし今できていなければ、まだ正しい知識と考え方を知らず、努力の方向性がわからないからです。
あなたの才能・能力は全く問題ありません。
20代のほとんどを甘ったれた生活や無能な仕事をしていた私でもできたんです。

今後、ブログやTwitter、メールマガジン等を通して
エンジニアで活躍するための考え方・方法や、フリーランスエンジニアで月収を上げていく考え方・方法を
どんどんお伝えしていきます。
発信を通じ、目標までの道筋を掴み「よし!自分でもできそうだぞ!」と感じていただけるとこの上ない喜びです。


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